このシリーズはTwitter上で発生した #狐面村 に基いて作られています。
狐面村 企画主様 @komen_mura
http://twpf.jp/komen_mura



一色目:香墨の午後



「あゝこらこら。それは食べちゃいけないよ。食べるならこっち」

 読みかけの本の文字がぴくり、ぴくりと動いている。男が引き出しの中からなんぞやの取扱説明書を取り出した。ページの上にふうと息をかけると、今度はそちらの文字がもぞり、もぞり。


 ここは狐面村にある紙文具店。名前は特にない。取り扱っているのは紙とペン――と言っても万年筆に限られる――それとインク。口元のない、インク染みがついた狐面をつけているのが店主の香墨(かすみ)だ。説明書の文字が消えてゆく様を、机に突っ伏して眺めている。

「なんだ、もう食べないの?  我儘だなぁ。少し口が肥えたえたんじゃないのかい?」

 そう文句を言いつつも香墨はペントレーに置いてある万年筆を手に取り、すらすらと本の一文を写しだした。書き出したそばから文字が消えてゆく。

「こんにちは、異常ありませんか?」

「ご苦労様。変わりないよ」

 紺色の狐面に紺色制服。一目で警察と分かる男が元気よく入ってきた。いつもの挨拶を終えると、ショーケース前の椅子に腰をかける。彼はこの村の所謂お巡りさん。名を狐月という。面の額に三日月があるかららしい。

「今日は少し暑いですね」

「朝打ち水したんだけどね。年々暑くなってる気がするよ。冷たいお茶でも持ってくるよ」

 香墨は紙いっぱいに文字を書いたところで手を止め席を立った。店の奥の方でかちゃかちゃと音がする。

「何を書いてたんだろう? しかし勝手に人様のものを見ては…。 ?!」

 狐月巡査がそわそわと机の上を気にしていると突然文字が浮き上がり、飛んだり回ったりし始めた。その様子はまるでからかっているようにも見える。

「かかかかか香墨さん!」

「どうかしたー?」

「あの、文字が、回ったりジャンプしたりっ」

「ああ」

 お盆に麦茶を持った香墨が面白そうに戻ってきた。相変わらず文字は輪になって踊ったり、終いには『だるまさんがころんだ』で遊び始めてしまった。それをたしなめながら冷たい麦茶と大福餅を二人分。

「君が来たからはしゃいでるんだよ。これは僕が飼ってるカミ蟲なんだ。文字を食べて生きる蟲だよ」

「蟲…?」

「いつもこの店にいるんだよ?  ただこうやって文字が動かないと人は気付かないからね」

「なるほど。狐面村の狐月巡査であります。困ったことがあれば交番までいらしてくださいね」

 『だるまさんがころんだ』をしている文字達に小さく敬礼する。

「むしろこいつ等が迷惑かけるかも。大福餅貰ったから、よかったらどうぞ」

「大福餅…今は勤務中ですのでお茶だけで!」

 きっぱりとした物言いとは裏腹に、目は大福餅から離れない狐月巡査。

「そう?  今日貰ったばかりだから柔らかいうちがいいと思うんだけど」

 今度は口の端を白くしながら食べる香墨を目で追う。柔らかい餅がびよんと伸び、中には控えめに輝くあんこが見える。

「いえ、勤務中ですので…」

 自分の前に置かれた大福餅は「早く食べて」と言わんばかりに大人しく鎮座している。

「勤務中…勤務…」

「ははっ。巡査、よだれ出るよ」

「っ…失礼しました」

 慌ててよだれを拭く狐月巡査は無類の甘いもの好き。それを承知で大福餅を出したのだが、どうやら信念には勝てなかったようだ。

「じゃあ終わったらまたおいで。とっておくから」

「ありがとうございます!  では私はそろそろ。お茶ご馳走様でした」

「はいはい」

「失礼します」

 風鈴がチリンチリンと風に揺れ、また店に一人と一匹。今日はお客が来るだろうか。そんな事を思いながら、香墨はまたカミ蟲に喰われないよう団扇片手に本を読み始めた。


-end-